愛、メロディ、妖艶さー Yuya Takahashi(ユウヤ タカハシ)が目指すもの

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「聴いた瞬間、衝撃を受けました。親でも、先生でもわからなかったのに、なんで俺の気持ちがわかるんだと。。。救われましたね。ずっと自分が惨めだと思っていたので、メロディや歌詞の人間臭さと言うか悩んでいるところと言うか。本当に救われました。」

 

 

Yuya Takahashi(ユウヤ タカハシ)。

佐倉市出身の若きシンガーソングライターを知っているだろうか。

京都の円山公園音楽堂にて開催されたコンサート「京の旅人」オーディションにて最優秀賞を受賞。

2,000人を超す観客を前に、「杉田次郎」「ばんばひろふみ」「ビリーバンバン」「きたやまおさむ」等、名だたる大御所アーテイストと共演を果たす。

学生時代に味わった、初めての挫折。生きる希望を失っていた彼を変えたものは何だったのか。Yuya Takahashiの夢を追った。

 

 

初めての挫折、孤立

17歳。

ちょうど10年前。現在27歳の Yuya Takahashi が本格的に音楽のキャリアをスタートさせたのはこの頃。

佐倉市立寺崎小学校、根郷中学校を卒業。勉強、スポーツ共に万能。クラスで優秀な生徒だったという。

そんな彼に人生の転機が訪れたのが、17歳の頃だったのだ。

 

 「高校2年生になって、初めて勉強についていけなくなりました。元々高校では友達が多い方では無かったので、クラスで浮いてしまって。どんどん友達が少なくなってしまいました。悪循環ですね。自分に自信が無くなり、入っていた山岳部も辞めてしまいました。当時は『いい大学に入って、いい会社に入る』という考えだったので、自分には何も無くなってしまったような気がして。。。生まれて初めての挫折を味わいました」

 

「クラスのボスみたいな奴がいたんですよね。サッカー部のオラオラ系で。そいつがクラスの陽キャラや女子たちを巻き込んで陰口を言い始めてきたんです。そのせいか、今まででは考えられないくらい、常にオドオドしている感じになってしまって。授業中、先生にさされるじゃないですか?普段なら余裕で答えられる問題でも、オドオドして答えられなくて。みんなに笑われて。悪循環ですよね。本当に学校に行くのが嫌でした」

 

順調な学校生活を送っていた彼に、いきなり訪れた人生の分かれ道。ほんの些細なほころびから、クラスで浮いた存在になるまでは驚くほど速いスピードであったという。

 

 

心の底から震える、ある音楽との出会い

「中学時代とは真逆の生活ですよね。そんな時に、唯一の支えが、本を読む事だったんです。司馬遼太郎、三国志の吉川英治とか良く読んでましたね。石川啄木、太宰治などの文豪の作品も好きでした。ある日、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』を読んだんです。今の俺の状況と似ているなと。居場所がどこにも無い感じに共感しました」

 

「いま思い出しても、凄く辛い時期でしたね。目標もなにもない。そんな時に、ふと目にしたテレビで『尾崎豊』の追悼番組をやっていたんです。生まれて初めて『シェリー』という曲を聴いて。その瞬間、自分の気持ちと凄くリンクしたんです。親でも、先生でもわからなかったのに、なんで俺の気持ちがわかるんだと。。。救われましたね。ずっと自分が惨めだと思っていたので、尾崎豊の人間臭さと言うか悩んでいるところと言うか。本当に救われました」

 

「そうして尾崎豊にハマっていって、いろいろな曲を夢中で聴いていました。いつしか尾崎豊の事を頻繁に調べるようになって。どうやら尾崎豊にも好きなアーティストがいるらしいと。それがビリー・ジョエルだったんです。『You’re Only Human』っていう曲があるんですけどね。PVが、失恋した男性が絶望のあまり橋から飛び降り自殺しようとするシーンから始まるヤツ。魔術師みたいなビリーが現れてね、曲が始まるんですけど。歌詞の翻訳を読むと『お前にはもう1回チャンスがある』って感じの内容で。痺れましたね」

 

 

自分の曲。とにかくステージに立つために

 

「尾崎豊の全曲集を買ってきて、押し入れにしまってあった9,000円のギターを引っ張り出してきて、マジで全曲練習しました。最初はFコードすら押さえられなくて。悔しくて悔しくて、必死で練習しました。叔父がギターを弾く人だったので、演奏のやり方を教わりに行ったり、夢中でしたね」

 

「元々読書が好きだった事もあり、詩を書いていたんですね。高校で上手くいかなくて落ち込んでいる時期に、当時はまだガラケー全盛期で。掲示板に詩の同好会みたいなのがあって、そこにUPしていました。『いい詩ですね』ってレスが来るんですよ。それがとても心の支えになって。表現する事で共感してくれる人がいるんだなあって」

 

毎日毎日ギターの練習。まるで憑りつかれたかのような日々。時間はかかったがギターの演奏が満足のいくレベルとなり、次に欲しいものができた。オリジナル曲だ。そこから先の行動は、あれほどネガティブだった彼からは想像もつかないほど積極的だった。

 

「どうしても自分の曲を作りたくて。ケータイのボイスメモで録音して聴いてみると、ヘッタクソなんだけど『自分の曲』だから胸がいっぱいになりました。その瞬間『俺はミュージシャンになる』と決めました。『いい大学に入って、いい会社に入る』という教育をした親は大反対でしたね。大学に入らないとロクな大人にならないという考え方でしたから。親戚みんなの前で説教大会ですよ。ハハハ」

 

 

「まず佐倉にあるライブハウスを調べましたね。人前で歌いたいという想いが強すぎて。でも、高校で味わった経験があって、怖かった。人前に出るのが。ギターを片手に、当時、京成佐倉にあった『サンライズ』っていうライブバーに行ったんです。ドアを開けていきなり『ここで歌わせて下さい』って頼みました。そしたら、その時はマスター1人しかいなくてね。お客さんはゼロ。歌わせてくれたんですよ。嬉しかったなぁ」

 

サンライズのマスターから教わったことは本当に多かったそうだ。ギターの演奏。歌い方。数えればキリが無い程。程なくして企画ライブの誘いを受け、初めてのステージへ。オリジナル曲は1曲だけ。あとは大好きな曲を歌った。尾崎豊だ。

 

「そのステージの後、志津にあるサウンドストリームに行きました。『初心者企画』ってやつですね。なんとかして友達を5人くらいかき集めて、チケットを買ってもらいました。そこでサンストの野口さんと出会うんです。野口さんからもいろいろ教えて頂きましたね。ライブに出演して、自分の出番が終わったからさっさと帰ろうとする俺を呼び止めて『ライブってのは、他のアーティストも観てから帰るもんだよ』って。当時の俺はそんな事すらわかっていなかった」

 

Yuya Takahashi が追い求めるもの

 

20歳を過ぎたころ、自身の音楽スタイルに変化を感じたという。彼に影響を与えたアーティストとの新たな出会いだ。音楽に魅了され続ける日々の中で様々なアーティストの楽曲に触れるうち、安全地帯、中森明菜、沢田研二。80年代邦楽の妖艶さに惹かれていく。そしてYuya Takahashi に最も影響を与えた音楽。ブラックミュージックだ。

 

「ロックやソウル、R&B、ブルース、ファンク等ブラックミュージックに夢中でした。なんて言うんですかね、リズム感と言うんでしょうか。それと80年代邦楽の妖艶さ。これが今のYuya Takahashi の楽曲に影響を与えている事は間違いないですね」

 

 

端正な顔立ちに艶やかさが印象的な甘い歌声。

エモーショナルという言葉が似合う、繊細かつ鋭いギタープレイ。

Yuya Takahashi のメロディー、歌詞には、彼が今まで経験した人生が詰まっている。

愛、ロマンをふんだんに詰め込んでいると語る彼の瞳は、輝いている。

 

「当時、17歳の自分と同じ思いで悩んでいる人はきっといる。その人たちに伝えたいんです。『あなたは一人じゃないんだよ』って。この思いを届けるためには、もっともっと有名にならなくてはいけないんです」

 

Yuya Takahashi の妖艶な世界観の中に見え隠れする、弱さ、不安、そして希望。様々な感情を不器用ながらストレートに歌い上げる彼のファンは多い。ミニアルバム「大切なもの」をリリースし、リリースツアーを行う多忙な中でも、ストリートでの弾き語りは欠かさない。まだYuya Takahashiに出会っていない、たくさんの人に思いを伝えるために。

 

 

リリースツアーのファイナル公演5月10日(金)

佐倉市志津にある、Sound Stream Sakuraで行われる。

 

 

 

 

Yuya Takahashi(ユウヤ タカハシ)

通称「YT」

Rock’n roller

 

<経歴>
1992.2.12 千葉県佐倉市出身

  

高校生の時、様々な事情から生きる希望すら失っていた時期、尾崎豊の音楽に出会い、救われる。ほどなくして、17歳からギター1本、書きためていた詩や想いを表現したくなり、弾き語りを始める。18歳から地元のライブハウスを中心に、ソロでライブ活動を開始。

 

 

 

 

 

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